History

1999年4月広域地区の活性化、交流連携の促進を図ることを目的に地域住民、関係市町村等がそれぞれ役割を持ちながら協動して数々のイベントを行い、和歌山県は南紀熊野体験博、三重県は東紀州体験フエスタのイベントがスタートしました。又、熊野古道を中心とする「紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産登録に向けて企画したものでもありました。そんな中、イベントの一環としてこの地域で出来る本物のスポーツとして自転車競技の開催を進めました。地域の特性を生かしたヨーロッパスタイルとなる環境の良いコースで、当初実業団レースとしては初めてである3日間のステージレースとなり、強い信念で実現にこぎつけた大会であります。

初年度は種々問題がありましたが、なんとか3日間を終了させることが出来ました。不慣れな為手際が悪く勉強の年となりました。

 

2000年の2年目には、実行委員会の組織を見直し、両県の行政関係に働きかけ、大会の継続開催のため奔走しました。

2001年の3年目からは、将来のアジア地区でのUCI公認レースまでに発展させるため台湾、韓国の海外よりチームを呼び国際レースとして準備を始めました。

2003年の5年目にはコースの変更を行い、2005年の7年目を迎える大会ではNPO法人を設立。これにより主催【SPORTS PRODUCE 熊野】、運営は【3DAY ROAD 熊野】となりました。法人の設立で自転車レースは基より、スポーツイベントを通じ、更なる地域の活性化、人々の交流の輪を広げる目的の拡大に目標をおき活動を続けて行きました。自転車競技者の底辺拡大には、選手をレースに参加する場を提供する事により実現し、又、国内選手の強化にもこの大会は役立っていると思って続けて来ました。

2007年9年目に入り国際大会への移行を考えて次年度大会名称の変更を発表。『ツール・ド・熊野』と変更しました。同年度は第9回3DAY CYCLE ROAD 熊野継承大会としました。

2008年10年目、念願のUCI公認、アジアサーキットのステージレース2-2クラスでツール・ド・熊野(第1ステージ~第3ステージ)を開催。JBCFレースを3DAY ROAD KUMANOとして併催する。又、スポーツプロデュース熊野事務局を新宮市浮島1-25キナン本社ビル2Fに移転しました。

2009年の11回ツールド熊野UCI公認レースとしては2回目を迎え新宮市中央通りでのタイムトライアルを追加し4日間のレースとなりました。この年以降のコース変更をいかに列挙致しますと

 

        • 2009年、第3ステージ太地半島周回コース太地トンネルを通過するコースに変更。
        • 2010年、第2ステージスタート地点山崎運動公園より熊野倶楽部に変更。
        • 2011年、道路改修工事の為タイムトライアルコースを新宮市市田川に変更。
        • 2012年、前年の紀伊半島豪雨災害の為第1ステージ熊野川清流コース長井トンネル付近がけ崩れの為コース変更。
          第2ステージ熊野山岳コース育生平谷間崩落の為、小森う回路にコース変更。
          第3ステージ太地半島周回コース漁港周回コースを追加。
        • 2013年、第2ステージ熊野山岳コース復旧する。パレードコース海岸コースに変更。
        • 2018年、第3ステージ太地半島周回コース道の駅コースに変更。
        • 2020年、新型コロナウイルス感染症の影響により開催中止。